|
|
|
|
|
|
入れ歯は古くは紀元前から作られていたようです。太古の人々の食事、生活など想像するだけでも楽しくワクワクしてくるようです。紀元前から古代の人たちも歯のない不自由さや
口元を気にかけたのでしょうか?歴史の資料をヒモといていくと色々と面白いお話しが出てきそうです。
|
|
ヘルマン・ユンカーは1914年ギゼーで調査中、紀元前3000年から2500年代のこれらの臼歯を発見した。
この臼歯は金の針金で生存中か、またはおそらく死語埋葬準備中のどちらかに、結びつけられたものであろう。
|
|
|
|
|
|
ここに示されているのは、古代フェニキアのシドン市で発見された、4本の天然歯と2本の象牙で彫った人工歯を
金線で結びつけた下顎固定式ブリッジの、唇側および舌側面から見た図である。この補綴物は紀元前5ないし4世紀
の間のものである。
|
|
|
|
この紀元9世紀のマヤ人頭蓋骨の前歯はヒスイおよびトルコ石のインレー(切端にはマヤ特有の変形)をほどこしてある。
マヤの人々も歯の美しさを競っていたのでしょうか!
少し前には日本でも歯に宝石を埋め込んでいるタレントさんがいましたね
|
ホンジュラスで1931年ウイルソン・ポペノエ博士夫妻に発見されたこの下顎骨は、天然の下顎切歯3本の
場所に3本の貝でつくった代用物が埋められている。時代は紀元600年ころ。
この標本はおそらく生きた人間にほどこされたインプラントの最初のものと思われる。
|
|
|
|
|
このエルトリアの固定ブリッジのポンティックは、右側中切歯が脱落している。これはおそらく雄牛の歯でつくられ、
金の帯に錨打ちされたものであったであろう。
エルトリア人は、おそらく有史以前に小アジアからイタリア半島に移住して定着した。最初は北はアルノ川、
南はテベレ川の間の中央地域を占拠したが、後に北進してポー川流域にも浸透し、紀元前7世紀末、ローマの小さな部落を占領した。
|
資料出典:図説歯科医学の歴史 著:MALVIN E.RING 西村書店
|