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AD3世紀ごろ |
古墳内の人骨にお歯黒の形跡が見られる。 |
7世紀 |
聖徳太子にお歯黒の習慣があった。 |
8世紀 |
古事記-第代15応神天皇の歌にお歯黒が
歌われている。 |
平安時代 |
貴族女子の成人の儀式として定着した。
鳥羽天皇時代、花園左大臣有仁卿がお歯
黒をつけ、男性にも広がった。 |
平安末期 |
「延響録」「源平盛衰記」「平家物語」
「義経記」等に武士にもお歯黒が広まっ
たとの記載あり。 |
戦国時代 |
お歯黒が成人の儀式として定着。戦略結
婚のため10歳にも満たない子にお歯黒を
つけて成人と見なした。 |
江戸時代 |
女性のお歯黒が既婚女性を表すようにな
り、男性のお歯黒は減少した。 |
明治初頭 |
貴族・皇族に相次いでお歯黒禁止令が出
され一般国民もお歯黒を止めるようにな
った。 |
大正時代 |
明治末期に「インスタントお歯黒」が発明
され、一時流行するが大正時代末期には
殆ど見られなくなった。 |
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お歯黒道具〜「鉄奨(かね)」つけ道具については、以下のものがあります。
(1)耳盥(みみだらい)、角盥(つのたらい)
(2)渡し金……耳盥の上に乗せ筆などを置く。
(3)五倍子粉(タンニン*注)と「ふしのこ」入れ。
(4)かねわかし、かねつけ碗
(5)お歯黒壷(かねつぼ)
(6)お歯黒筆
(7)お歯黒箱、長箱
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