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image歯磨きの歴史

ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384〜322)がアレキサンダー大王のために書いた【健康の書】に『大王様御起床と共に手を洗い、口をそそぎ、眼と鼻の穴とを御掃除下さい。それがお済みでしたら目の荒いタオルで歯を磨き下さい』と、また、アッシリア人はキリスト誕生前700年に鼻腔を口腔とを清潔にするほか、指先で歯をこすることを教えていたし、また回教徒はまず前歯を、次に側面の歯を磨くことを、またマホメットも『汝等、心をこめて歯を磨け、そは神を崇むるの道なればなり』と教えていた。



imageimageimageimage 江戸時代の歯磨き-1
文献によれば、紀元前1550年ごろ、エジプトのエベレス、パピルスPapyrusOfEbersに歯磨粉の処方が記されているので、このエジプトの歯磨が中国に伝わり、さらに朝鮮半島を経て日本に伝えられたものと思われる。このことは、わが国の文献に歯磨という名称が現れたのは寛永20年(1643)に江戸の商人丁字屋喜左衛門が大陸から渡来してきた外人(韓国人)の伝を受けて製したという「丁字屋歯磨」あるいは「大明香薬砂」の商品名で売り出されたのが始まりとされていて、この袋には『歯を白くする、口中のあしきにほひをさる』とその効能が記されている。



江戸時代の歯磨き-2
文化・文政(1804〜1829)の頃は江戸時代の全盛期であって、歯磨きはおしゃれで粋な「江戸っ子」の間に広く普及し、その数も100種に近かったと言うから驚きである。そのなかで知名度の高かった歯磨きは文化年代(18704〜1817)には「おもだか屋歯磨」、伊勢屋兼康制「梅見散」、兼康制「松葉しほ」、式亭三馬製「箱入御はみがき、梅紅散、井口の歯磨」尾上菊五郎製「匂ひ薬歯磨」など、文政年代(1818〜1829)には、為永春水製「丁字屋歯磨」美濃屋製「一生歯のぬけざる薬」小野玄入製「固歯丹」、萬屋製「含薬江戸香」、式亭小三馬製「助六歯磨」長井兵助製「清涼歯磨粉」百眼米吉「梅勢散」などがある。
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式亭小三馬製「助六歯磨」
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百眼米吉「梅勢散」

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image 明治時代の歯磨き
明治23年(1889)に大阪衛生薬館発行、奥羽発売元仙台の近八商店から売り出された「富士峰」はその引札に『世界無敵、歯磨大博士』とあって『第3回内国勧業博覧会ニ於いて褒状拝受ス』と記してある。

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大正時代の歯磨き-1
大正13年(1924)ライオンから軍隊用大袋、水歯磨平丸大瓶を発売、大正14年(1924)に歯磨きの課税問題が起こったが、業界の反対により中止、藤屋商会から「ラヂオドラマード煉歯磨」を発売。
大正14年(1925)4月にライオンが学校歯磨教練を実施すると共にわかりやすいライオン口腔衛生図のポスターを作製し、その普及に努めた。
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imageimage 大正時代の歯磨き-2

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